深刻ぶるなよ、わざとらマン

 僕はあまりアダ名で呼ばれたことのない人間なのだが、中学の陸上部の顧問から「わざとらマン」という不名誉極まりないアダ名をつけられたことがある。全然浸透しなかったのは、その顧問がそれほど好かれていなかったからだろう。あとは、あまりピンと来なかったのかもしれない。僕以外は。

 そのアダ名の根拠は、顧問の指導に対して僕の動きが「わざとらしい」ということだと察する。僕は理解するのと、それを納得するのに時間を要する人間だ。今でもそうだ。特に納得するのに時間がかかる。そのタイムラグの間にも部活の時間は進むので、指導された通りに走らなければいけない。

 納得し切らないまま、顧問が言った通りに手足を動かそうとするのだが、体が逆らってくる。その逆らっている体と、でも、一応は指導をトレースしようとする心とのギャップがぎこちなさを生む。それを見た顧問が全身をブルブルさせながら「ちが〜う!」と言った後に吐いたのが先のアダ名だ。

 指導者としては「上っ面だけなぞろうとして、芯から理解していない」ように見えるのだろう。わざとらしいということは、バカにしているようにも見えるのかもしれない。このようなことは中学校以前にもあったし、その後のさらなるハード部活ライフでも時々あった。背が高いので目立つのだ。

 僕は部活の時間だけは真面目だった。運動神経がないという劣等感を払拭するために必死だったのだ。その劣等感を植え付けたのは他ならぬ自分なのだが、自分に課題を課してクリアするのは悪くない。自作自演のようでもあるが、確かにそれほど運動神経は良くなかったので険しい道ではあった。

 中学生の頃は顧問の言うことを「本当にこれでいいのか?」と自問しながら聞いていた。特に走り方の指導は、体つきの差異があるので通り一遍の教え方では上手くいかないと感じてもいた。それをそのまま伝えればよかったのだが、僕はコミュニケーションの前に諦めるクセがついているようだ。

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本当は痩せた方がいいのに、わざとセット物を頼む。わざとらマンだから。