先に生まれただけ

 以前よく考えていたのは、先生というのは先に生まれただけの人じゃないかということだった。単なる生まれた順番が先だっただけで、過剰に威張られるのは不本意との思いがあった。もちろん、それは過剰に威張るタイプの教員に対しての感覚だが、僕が学生だった時代はそのタイプが多かった。

 教員として指導する立場だから、時には叱る必要がある。生徒が悪いことをしたら「それはダメだ」と注意しなければいけない。僕が出会った中には、指導がすべて感情的になってしまうタイプの体育暴力的教員が多かった。悪いことをしない僕とは無縁だったが、遠くから見ていても不快だった。

 ただ、たまに感情的にならずに叱ることができる先生がいた。単に優しいとか、甘いとかではなく、ちゃんと大人として対峙してくれるタイプの人たちだ。生徒に対して優しさを見せることを厭わない強い優しさを持った人や、粘り強く淡々と説き伏せる意志の人だったりした。僕の好きな先生だ。

 そういう僕にとって「良い先生」と感じる人たちと今でも連絡を取っているかと言うと、卒業以来まったく会っていない。担任の先生は通り過ぎるもので、その時々のルーレットのようなものだ。担任以外の教員だと、部活で世話になる顧問くらいしか関わらない。そういう人たちとも疎遠である。

 印象に残っているのは、高校1年生の頃の担任だ。登山の趣味がある人で、その他の雑誌に寄稿しているくらいその道に精通している人だった。その話を聞いていたので、学校以外の世界との関わりを持った大人として尊敬していたのだ。だから、分からないことがあったら、その人に聞いていた。

 ある日のホームルームで女子生徒数人が立ち上がって、その先生に抗議していた。何に対しての抗議なのか分からないが、僕はその先生を無条件で信じているので、そいつらが何かしら勘違いしていると察した。果たして何のことかは今でも分からないが、その時も声を荒げずに事を済ませていた。

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散った桜の花びらで水面がピンク色に染まる季節。咲いた花より見応えあり。