標語で固結びする生活

 むかし、教室の黒板の上とか後ろの荷物置き場の上には、誰が考えたのか知らない標語が書かれた紙が貼られていた。僕は、漢字テストなどで思い出せない文字があった時に、その標語の中から該当する漢字を探して切り抜けたことが何度もあった。教員と生徒の向いてる方向の違いによる利点だ。

 僕のカンニング成功体験を自慢したいわけではない。この手の標語は、だいたい三つの目標のようなことが書かれている。例えば〈忘れ物をしないように・元気よく挨拶しよう・みんな仲良く〉みたいなことだ。教員が気に入っていると思われる標語の場合、それを朝イチで復唱させる場合もある。

 小学生の頃、少年野球部に入っていた僕は、練習の終わりに毎回この手の標語を復唱させられた。これはシンプルで〈礼儀、努力、健康〉というものだった。僕のスポーツマンシップは、この言葉に集約されている。何年も口にしていたから体に染み付いている。この言葉が僕のスポーツマン観だ。

 自分がスポーツをする場合において、これらを忠実に守って大事にしてきたという意味ではない。どちらかというと僕はラクな方に流される弱いスポーツマンだった。ただ、他人を評価する際の基準として、この三つの要素を持っているかで見てしまう。ちなみに僕は〈健康〉だけは及第点だった。

 標語に限らず、三つの単語で端的に表現することは多い。芸ごとの世界ではむかしから〈飲む、打つ、買う〉などと言うし、ヒデちゃんはヒッパレで〈見たい、聴きたい、歌いたい〉と言っていた。キャッチコピー的な収まりがいいのだろう。古来より三つの方がバランスが良いとされて来たのだ。

 そういえば僕の保健指導の担当者も、僕に対して三つの課題を提示していった。週3回のジョギング、週3日の休肝日、夕食時のご飯お代わり禁止が僕の当面の課題だ。これらは担当者の誘導で僕の口から言わされた標語だ。キャッチコピー的な語呂は悪いが、人間は語呂のみにて生きるにあらず。

f:id:SUZICOM:20210218154319j:plain

僕の大好きなチキンタツタも、保健指導による罪悪感メソッドにより我慢。