呼吸の仕方を知っている

 何かを自然に行うことの例えで「呼吸をするように」と表現することがある。一流のスポーツマンは呼吸をするように努力する、といったような使われ方だ。僕は「礼儀・努力・健康」をモットーにするようになったのだが、努力はむかしから苦手だ。僕が呼吸するようにできるのは、呼吸だけだ。

 ちなみに僕のモットーは、かつて所属していた少年野球部で練習前に言わされる標語だ。悪くない言葉の羅列だと思うが、ちょっとヘルシー過ぎる。面白味がない。大好きな佐野元春の曲で「つまらない大人にはなりたくない」と歌っていた。先の標語などは、つまらない大人が言いそうな言葉だ。

 でも、良いのだ。表面に出すことは面白くなくて構わない。若い頃なら楽しげな雰囲気を掲げていた方が、同類の楽しげな人間が集まって盛り上がるだろう。いまの僕は大勢で大盛り上がりしたい感じではない。それは世相のせいではなく、もっとじっくり、もっとゆっくり楽しみたいと思うのだ。

 僕の内面にジワッと滲み出るような面白味があるとは思わない。ただ、他人は自分を映す鏡だと聞いたことがある。似てくることもあるだろうし、見て真似ることもできる。僕がなりたい自分に近い人間を、呼吸をするように選んでいるのかもしれない。そこで大切にするのが、標語にある礼儀だ。

 ちなみに僕は努力が苦手だと述べたが、それは諦めてしまうからだ。僕に努力の大切さを教えてくれたのは「キャプテン」という野球マンガの大傑作だ。あのマンガの努力の描写が好きで、僕もいつか力の限り努力をしたいと思っていた。でも、学生スポーツにおいて、努力は影でするものなのだ。

 大っぴらに努力するのは恥ずかしい。そんな風潮に流されて、大した努力もせずに生きてきた。内心では「努力の先にしか結果はない」と思っているので、努力しない段階で自分の結果などタカが知れていると諦めてしまう。だからこそ、標語に掲げておかなければいけない。その先に健康がある。

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甘味を欲さなくなって久しいが、極寒の中を歩く時は自販機しるこで決まり。