傷付くだけの厄介者、喪失

 昨夜は高校時代からの仲間とのスモール飲み会だった。わざわざスモールを付けるのは時代への配慮でもあるが、実際に以前はもっと盛大に集まっていた。草野球チームの忘年会なのだが、そのチーム自体が高校の同級生で集まっているので、飲み会ともなれば当時の思い出語りが中心になるのだ。

 その飲み会のメンバーは、ほとんどが旧知の仲で、長く親しくして来たらしい。この辺り、僕は少しだけ疎外感を感じざるを得ない。ほとんどのメンバーが高校卒業と同時に、その草野球チームに関わっている。僕のように30過ぎてから入った人間もメンバーにはいるのだが、飲み会にはいない。

 僕はそこに集まる連中の話が好きなので、疎外感を感じることがあっても気にせず、それぞれの話を遠巻きに聞いていられる。ただ、昨日のような少人数での集まりだと、その状況が切なすぎるのだ。人数で偽装できていた「聞いているフリ」が痛々し過ぎて、ついつい孤立アピールしてしまった。

 そんなことがあったからだろうか、他のみんなは3次会に向かったが、僕は特に誘われずに帰ってきた。いや、それでも時間的には遅かったのだが、疎外感アピールの諸刃の剣を感じてしまった。構って欲しいタイプと認識されたら困る。聞いているだけで良かったのに、話さなきゃいけなくなる。

 待てよ、ひとつ思い出した。2軒目の店の会計の時に会費を払いそびれてしまった。幹事的な男が「ひとり3千円」と言った瞬間にトイレに立ってしまったのだ。古典的なワリカン逃れの常套手段だ。僕としては払ってからトイレに行ったら「置いて行かれそう」という懸念から出た行動なのだが。

 確かに、そんなワリカン逃れをするような男を飲みに誘う気にはなれない。その上かまってちゃんなのだから、ここは早めにお引き取り願いたくなるのが人情だろう。なんとなく、年の最後に大事な何かを捨ててしまったような喪失感がある。飲めば飲むほど多くのものを捨てて身軽になれば良い。

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思い出に直結してなくても、商店街の雑スピーカからの曲で涙ぐんだりする。