誰も知らなくて良い

 走ることを日課にしてみたら、走らないことが逆に自由に感じたりした。走った方が正義な世界を自分で勝手に作っておいて、それを壊すセルフビルドアンドデストロイだ。カタカナが多すぎて意味がわからないが、自分で積んだ石は自分で崩したい。そんな気持ちで日課を壊したくなる時がある。

 仕事がガバッと覆い被さってきたので、ちょっと重いなぁと思って考えてみた。これは、一端ガッツリ付き合って、一回整理しなきゃ気持ち悪いなってこと。この土日は休もう。でも、その前に入った仕事は猛ダッシュで片付けてしまおう。そう思って今日は仕事に徹してみた。リアル仕事人間だ。

 義務感を感じつつあったジョギングを、仕事を名目に堂々とサボった。僕は人一倍意志が弱いので、走らなければいけないと思い込ませるためにジョギングの格好に着替えてしまう。着替えたら自動的に走ると思っていたが、今日はスタイルした後で仕事をしてしまった。その結果、仕事が勝った。

 仕事の良いところは、やれば終わるのだ。僕がいくら走っても、そこに終わりはない。僕の決めたコースを走り終えることはあっても、どこかの誰かは僕よりも走っている。つまり、ジョギングを競争で考えれば、走る距離だけがモノを言うのだ。僕の距離なんて、ひと駅の区間にも満たないのだ。

 そんなジョギングでも、走れば小さな達成感はある。その日だけのことじゃなく、長く続ければ、その日数が積み重ねになる。そういう積み重ねが大事なのだが、それをガン無視で通り過ぎて行くのが仕事だ。自己満足のために走っているヒマがあるなら、その時間で仕事を進めなければいけない。

 なんにしろ、今日は走らなかった。仕事に手をつけたら、キリのいいところまで終わらせたくなる。そのキリがつかなくて、結局オヤツの時間に昼メシを食べる始末だ。いつもなら午前中には走るのだが、走るよりも仕事の方が意味がある。僕の無意味な健康よりも、すこしでも金になる方が良い。

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数年前の街ブラ写真だが、どこだかさっぱり分からない。分からなくても困らない。