変わった走り方の子ども

 自分が幼稚園児の頃のことなんて、ほとんど覚えていない。小学校の低学年あたりの記憶ともごちゃ混ぜになり、不可分なところがある。ただ、小学生時代は嫌なことが多かったような気がする。ガキ大将からの理不尽な命令で、いろいろダサイことをやらされた。そのガキ大将は死んでしまった。

 でも、あの理不尽な経験があったおかげで、謙虚な人間に育ったような気がする。僕は根っから調子乗りのところがあるのだが、そこを完全に潰されたような気がする。今でも調子には乗るが、ブレーキが効く。そのブレーキのセッティングは、あの亡くなったガキ大将が施したものだと思われる。

 ちなみに、そのガキ大将が亡くなったのは僕が中学生くらいの頃だったと思う。あの頃の若者は、よくバイク事故で亡くなったものだ。まだヘルメットが義務化される前だった。まだ高校生だったガキ大将の死は、僕にとっては時代の節目にあたる出来事で、心の支えをひとつ失ったような感覚だ。

 嫌なことをさせられる割に、そのガキ大将の家にはよく遊びに行っていた。僕が少年野球を始めた頃には、もうすでに変な嫌がらせをさせられることはなかった。でも、いつでも特大の先輩風を吹かせることは変わらない。今思えば、ガキ大将とは5歳以上の年の差があるので噛み合わないはずだ。

 その年齢差を埋めるには、軽くイジって遊ぶくらいしかないのだろう。僕にも同じ年の差の妹がいるが、あの頃は全然いっしょに遊ぶことなんてなかった。冷たい兄貴だったと思う。それは、ガキ大将のやり方から学んだスタイルだ。やはり物事には両面あり、悪い影響も受けていたということだ。

 薄い記憶によると、僕は幼稚園児くらいの頃までは可愛い子供だったはずだ。それはルックスのことだ。でも、もう何十年も当時の写真など見ていない。記憶を呼び戻すために、卒園アルバムを引っ張り出してきた。アルバムで確認する限り、飛び抜けて可愛いわけじゃないということが分かった。

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この頃の顔を晒したところで、いま面影がないので問題ないだろう。