スタンドそばアローン

 急いでいるときに駅のホームにある立ち食い蕎麦屋に寄ることがある。僕はなぜかJR錦糸町駅の下りホームで食べることが多い。この立ち食いそばスタンドを気に入っているわけでは決してないのだが、時間の都合で「ここでしか食べられない」と言うタイミングで、そこにいることが多いのだ。

 いつも、家を出る前は「錦糸町で何か食べてから客先に向かおう」と考えている。でも、千葉駅より先に行くので、成田まで直通の早いやつで行きたい願望が芽生える。なので、千載一遇のチャンスを逃さないように、とりあえず駅そばで済ませてしまう。結局、家を出る段階で駅そば確定なのだ。

 高校生くらいの頃は、駅そばに憧れのようなものを感じていた。その年代に特有の「人とは違うこと」の一環で、渋好みするところがあったのだ。誰でも安易に大人に反抗しがちだが、サラリーマンにもかっこいい部分があるんじゃないかと言う逆張りだ。そのキャンペーンの中に駅そばもあった。

 その頃、僕だけが渋好みで駅そばを言っていたわけではない。むしろ、僕は他人の尻馬に乗ってほのかに憧れていたに過ぎない。あまり都内に出かけない僕としては、立ち食いそばの存在は知っていても食べる機会は滅多にない。でも、友達からは「◯◯の駅そばは旨い」などと聞かされたりして。

 僕は、何か意見を言うヤツというのは、その事柄に対してかなり本格的な研究者でもあるかのように考えてしまう。例えばその◯◯の駅そばも、100軒の駅そばから厳選した1軒だと思ってしまう。高校生の分際でそんな時間はないと今は分かる。でも、当時の僕は勝手にそんな想像をしていた。

 現在、リアルな生活のリズムとして駅そばを利用する身としては、当時を振り返って特に感慨もない。ただ、若い頃は小さなことに引っかかるものだなと思ってしまう。躓くと言っても過言ではない。そして、誤解していることも多い。その引っかかりや誤解は、いつまでも持っていたい感覚だが。

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駅そばはマラソンの給水所の感覚なのだが、そのくせセットにしてしまう。