くちはわざわいのもと

 以前勤めていた会社に、1日の大半を誰かの悪口を言うことに終始する変な男がいた。電話で誰かと話しているのだが、こんなに長時間にわたって悪口を聞かされている人も同程度のレベルの人間なのだろうと思われる。僕が極端に悪口を言うヤツを嫌いになったのは、そのバカの責任だと言える。

 悪口を言っているヤツというのは、悪口を言っている間の自分を「何様」だと思っているのだろう。恐らく何にも考えていないのだ。ただ、自分が言って気持ち良い文言で罵っているに過ぎない。前の会社の悪口男は、元の顔が基本的に陰険な顔相である。それが、悪口を言い始めるとさらに歪む。

 僕の三つ下くらいの年齢だったので、僕も気分が悪いときは注意くらいしたはずである。その注意を聞き入れたふうもなく、延々悪口電話は続けられた。ナメられていたのだろう。全ての人間が悪口の対象なのだ。僕のことだって、ウラでは気分の悪い言葉で罵られていることは容易に想像できる。

 そんなヤツのことは忘れてしまえば良いし、その会社を辞めて10年経つので忘れていたが、先ほど昼下がりのうたた寝の途中で思い出してしまった。思わずその会社に乗り込んでで「夢の中まで出てくるんじゃねぇ、このカス野郎」と叫びたい衝動は簡単に抑え込めた。その会社はもうないから。

 この男に限らず、人の悪口を言っている人間の顔は歪んでいる。僕が今ここで記していることも、読む人間によっては悪口に当たるのだろうか。僕の側から見た事実を記しているに過ぎないが、恐らくはこれも悪口と捉えられるのだろう。本人に直接注意しない限りは悪口だし、陰口だ。そう思う。

 ただ、文章を淡々と打ち込んでいるだけなので、顔は歪まない。汚い言葉は、口から出なければ顔相には影響しないようだ。僕が口中でブツブツ呟きながら打ち込んでいたら、やはり歪むだろう。だから、匿名性の高い文章で相手に特定されないような悪口にすることで、ストレスを発散するのだ。

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前の会社の通勤時に通っていた跨線橋。ここでひとつため息。そんな日々。