崩壊寸前のヘイター通信

 悪口が苦手な僕だが、それは「悪いことを言うと自分に返ってくる」という道徳めいた言葉を信じているからだろう。あとは、大勢で悪口で盛り上がった後の居心地の悪さを感じるくらいなら、まったく悪口を言わない方がマシだと思ってしまう。心の健康のために悪口を避けるようになったのだ。

 もちろん嫌いな人間はいるし、割と好き嫌いは多い方だ。そもそも大きな声で悪口を言うヤツは苦手だし、なるべく注意するようにしている。注意という姿勢が「上から目線」に感じるので、たいていは聞き入れられない。そんなことよりも、悪口で盛り上がった場を盛り下げたことを注意される。

 僕は優等生ぶって悪口を諌めているわけじゃなく、騒音を注意する感覚で「ちょっとボリューム下げてよ」くらいの感じで言っている。僕がいない場所でなら勝手に悪口を言えば良い。ただ、僕の悪口を言われるのは腑に落ちない。でも、たぶん言われるだろう。マジメぶってんじゃねーよ、的な。

 悪口を大声で言う人以外にも、僕には嫌いな人が多い。そうやって関係性を整理している割に人付き合いが途絶えないのは、周りに出来た人が多いからだろう。好き嫌いの多い人間は孤立する印象があるが、比較的仲間との関係は良好だったりする。みんな我慢して付き合ってくれているのだろう。

 昨年末に同級生と飲んだ時に、僕の嫌いな人間の話題になった。そこで「何がそんなに嫌いなんだ」と本質を問うようなことを聞かれた。聞いた当人としては話題を提供したくらいの気やすさだったのだろう。でも、僕はその話題をずっと避けていたので、そこで本当の気持ちは言いたくなかった。

 それでも食い下がってきたので、仕方なく話そうとした。ところが、思い出そうとしても言葉が出てこない。思い出さないようにし続けてきたせいで、忘れかけているようだ。結局は後日思い出すことになって、またちょっとイラッとしてしまった。でも、あと数年したら忘れられるかもしれない。

森の向こうに見え隠れする赤い橋のように、ネガティブな記憶は消えてほしい。