ネガティヴ不発弾の誤爆

 気心知れた仲間と一緒にいると、つい本音がこぼれてしまう。僕は、普段からネガティヴなことにフタをして話しているので、そのフタを開けてしまうのだ。最初は恐る恐る開けて、でもちょっとフタをズラすと、中からネガティヴがぬんと顔を出す。酔いに任せてドス黒い負の感情が溢れてくる。

 とは言え、普段ネガティヴなことを言わないのは、そんな発言をした後の自己嫌悪が酷いからだ。悪口を言うのも聞くのも好きではない。それは善人ぶってるのではなく、ネガティヴな感情に支配されるとどこまでも堕ちていきそうな恐れがあるからだ。深くて魅惑的な闇の誘惑に勝てそうにない。

 だから、酒場でもギリギリのラインで悪口を回避しようとする。そんな様を見ている人間からしたら「悪口くらい言っちゃえば良いのに」と思うらしい。人間が善人パートだけで成立しているわけじゃないと、みんな知っている。僕もたまにはダークサイドを解放した方が、心の健康に良いようだ。

 昨日は酒場の店主が定休日だったので、知った顔の仲間らと近所のお好み焼き屋で飲み食いした。寒い日は鉄板を囲んで、ホカホカしながらの飲み食いが楽しい。酒量が増えるにつれ、僕の口も悪くなる。でも、ネガティヴボックスのフタは開いてしまった。もう「どうでも良いや」と言う気分だ。

 飲酒時の記憶はいつだって曖昧だが、昨日はそんなに乱れてはいないと思う。そこにいない誰かの悪口を漏らしてしまったが、それは普段から本人にも多少は言ってる話なので許容範囲だ。それよりも、悪口じゃない部分のカギが開いてしまった。普段は見せない優しさを不用意に見せてしまった。

 酒場の人間関係で、みんなが腫れ物に触るようなアンタッチャブル案件がある。長らく放置してしまったので、今さら手遅れなところもある。でも、その腫れ物は現在進行形で腫れ続けているので、本気で処置するべきなのだ。それに関して迷惑を被っている人間に、期せずして優しく接していた。

鉄板で焼く牡蠣は最高に美味い。腹が満たされたのに心は荒むという反比例。