文字の羅列と踊ろうぜ

 本を読むということは、少なからず知識を得ることでもある。僕はエンタメ小説かノンフィクション系しか読まないが、常に本を手元に置いておきたいと思っている。それはマンガを読む感覚と大差ないのだが、他人の目からは文学的な気取りに見えることもあるらしい。まったく文学ではないが。

 僕が考える文学的な小説は、テストで出てくるような作家陣の作品群である。明治期から昭和初期の、暗かったり変態性が強かったりする作家の著名な小説をイメージする。前評判や序列を聞くだけで、なんとなく作風を想像している部分もある。あとは、テスト問題で部分的に読んでいたりする。

 そんな文学系の小説に関しては、実はほとんど読んでない。読書が趣味と公言するなら、基礎教養として芥川龍之介太宰治は読んでおきたいところ。でも、僕はどちらも買って読んだ経験がない。国語の教科書で部分的に読んだことはあるが、勉強の枠を超えて趣味的に読もうとは思わなかった。

 広義の解釈をすれば教科書は買ったものなので、そこに載っている作品群はすべて買って読んだと言っても全然問題ないと思う。でも、小説を部分的に切り抜いて読ませる教科書の文章が作品全体を表現しきれているとは思わない。やはり、それはお勉強の範疇だ。恣意的に切り取られたパーツだ。

 僕は国語のテストが好きだった。入試でも、長文読解はなんらストレスを感じなかった。本質的には答えなんかない問題だという意識を持ちつつ、それでも出題者の意図を軽々と理解して読み解くことができた。正解を導き出すことは容易で、それでも本質は別だと感じて小さく胸を痛めたりした。

 とは言え、結局そこは答えなんてない。本質というか、作家が意図することを読み解こうとすると、テストの解答からは逸脱する。作家自体はテストの問題として文章を考えたわけではないのだ。この国語のテストに関するモヤモヤはずっと残っている。現代の学生は、どう解釈しているのだろう。

寒い季節は家に籠るので本を読みたくなる。また大量に買い付けなくては……。