君の脳みそを見せてくれ

 先日まで法廷ものの小説を読んでいた。傍聴席に座るために通うような気分でページをめくっていたので、そのリズムを崩したくない。本を読むという楽しみが生じている間は、次の本を絶やしたくない。そう思ってまとめ買いした小説が、あと1冊になってしまった。次を買わなければいけない。

 いつも決まった作家の小説ばかり読む。先の法廷ものの作家も僕のローテーションに入っている。でも、ローテーションを拡張したい気持ちが常にあるので、人の意見を聞いてみた。ありきたりな質問だが、みんなに「最近おもしろかった本あった?」と聞いている。でも、なかなか見つからない。

 結局は自分で選ぶのだ。作家名を聞いて、なんとなく想像してしまう。「ああ、あの映画の原作の本か」と分かった気になってしまう。映画も、その作家の他の本も読んでないのに、勝手な想像で彼のオススメを却下している。自分が聞いたくせに酷いことをする。呼吸するように酷いことをする。

 そういえば、僕は他人が薦める音楽をほとんど聴かない。本と同じ理由だ。聴く前から勝手に音を決めつけて、それは「合わないな」と避けてしまう。でも、絶対に他人のオススメを排除しているわけじゃない。自分の興味が向いている先の作品だったりすると、瞬間的にピンときて聴くし、読む。

 自分が何に興味があるのか、自分では気が付かないことがある。だから、人に聞いて行き先を教えてもらっているのだ。いつも迷ってしまうが、ボンヤリとした目的地はあるのだ。そこに行き着くためのヒントを、僕との会話から察して教えて欲しい。ワガママな注文だが、たまに奇跡的に通じる。

 音楽に関しては、サブスクで自由にディグれるので、人の意見をどんどん聞けなくなっている。中年なりの意固地だ。本に関しても同様なのだが、本は「読む」という能動的な行為があるので、先に読んだ人の意見には聞くべきものがある。だから、読まないと感じても感想は聞くべきだと思った。

麺類ばかり食べる僕の脳みそは、太麺のつけ麺くらいのボリュームだと思う。