どの棚に並べれば良い

 先日、あまり肩肘の張らない本を探して手に入れたのがジュヴナイルもの(いわゆる子供の冒険小説)だった。と、途中まではそう思っていた。それが唐突に少年期を飛ばして、主人公は30代になっている。そして、かなり早い段階でジュヴナイルの甘さは消え、読むのがツラい話になっていた。

 読むのが遅い僕でも一日で読み終えたので、かなり面白かった。でも、ここではその本を薦めたいワケじゃない。ただ、その本を読んで覚えた違和感について述べてみようと思う。その違和感はカタルシス。先の展開が気になってイッキに読み進めたのだが、その展開の先にはカタルシスが欲しい。

 カタルシスの字義は「浄化」だそうだが、僕が読書で得たいカタルシスは達成感に近い感覚だと思う。文字を読むことを作業だとすると、その面倒な作業を終えたご褒美としての達成感が欲しくなる。展開を追った先には、僕の「期待どおりの意外な結末」が待っていてくれることが望ましいのだ。

 読書中の僕の頭にはいつも、小説の続きのオプションが派生する。それらのパターンを踏み外すことがなくなるのは、それだけ同じ作家の作品ばかり読んでいるからだろう。面白いし意外だと思う結末ではあるが、ちゃんと腑に落ちている。何ら違和感なく咀嚼できる。それがいつもの読書である。

 冒頭の本は、そんな僕のパターン化した作家群ではなく、ツイッターの投稿を参考にランダムに選んだ女性作家の作品だ。エンタメ寄りなのかミステリーなのか、事前の先入観がなかったのが良かった。僕のパターンが当てはまらない展開は、ちょっとだけ胸クソだったけれど、読後感は悪くない。

 先にカタルシスの字義を浄化と記したが、この読後感は達成感より浄化に近い。宗教モチーフの作品ではないが、主人公がたどり着く境地は仏教的な解脱や悟りの類いかもしれない。すべて読み終えて、この本のジャンルは何なのかと考えたが分からない。村田沙耶香著「地球星人」の感想である。

横浜の船着場で水面を覗き込むと、生きているのか不明なクラゲが漂っている。