すれちがう中年の純情

 最近たまに会うようになった中学時代の同級生がいるのだが、なかなか気心知れた付き合いにならない。僕の望みは彼と飲み屋でバカ話でもできれば叶うのだが、誘っても出てくる気配がない。その代わり、彼のカルチャースクール的な活動には付き合わされる。もしかして、利用されているのか?

 別に特に怪しい活動ではないので、それに付き合うのは構わない。でも、その活動に参加したり、コチラから積極的に動きたくなるようなものではない。地元の歴史を調べるような活動なのだが、そんなに興味深い土地ではない。彼らの話を聞く分には面白い部分もあるが、あくまで受け手である。

 ただ、何度か会ううちに、そのサークルに取り込まれそうになっているのは事実だ。スポーツの活動もそうだが、そういうサークル的なものは手弁当だ。功利主義で動くものではなく、自発的に労働力として体を捧げなければいけない。フリーで動いていると、そんな無償奉仕に違和感が沸くのだ。

 僕も功利主義は嫌いだ。自分だけ儲かれば良いとは思えない。その孤独で得た金で買える幸せは、僕が楽しめる種類のレジャーではないと思う。ただ、無償で得られるレジャーだって楽しめるものではない。楽しくなるためには掘らなければいけない。掘るためには有償な何かが必要になってくる。

 サークル活動は無償ではなく、会費を払ってのレジャーだ。コチラにハッキリとした目的があれば、会費を払うのも、労力として使われるのも許せる。僕はラグビーや草野球のサークル活動をしていたが、それは好きでやってきたことだ。その活動の一環で、無償奉仕をやらされる場面は多々ある。

 冒頭の同級生のサークル活動に話を戻すと、彼の活動も功利主義とはほど遠いが、そこに僕を付き合わせる行為に関しては、彼の個人的な都合なので、たぶんそこに引っ掛かっている。僕が一緒に飲みに行きたいというのは、これは別に日常の願望でしかない。そして、この願望は萎みかけている。

街歩きは情報が多い方が楽しい。そんな情報収集のための活動は大事ではある。