何にも凝れない傍観者

 僕にはオタクの素質がない。僕が学生の頃のオタクは肩身が狭かったはずだ。部活がヤンキーじゃないと学生生活をエンジョイできない気がしていた。実際の僕はわりと熱心に部活に打ち込んでいた方だと思う。それで学生生活をエンジョイしたというよりも、他に何もなくて熱中しただけだった。

 部活に熱中することはオタク的素養をまったく必要としない。そのスポーツに関して分析するようになると、その目線にはオタク的な凝り性が役立つだろう。僕はスポーツに関しては、すこしもデータを覚えない。部活であるラグビーのルールさえ覚えきれなかった。ただ練習に打ち込んだだけだ。

 かまやつひろしが「ゴロワーズ」の中で歌っていたのは、何かに凝らなくてはいけないということだ。男の生き方指南的な内容の歌詞なのだが、余計なお世話と思いつつ、確かに何かに凝ることは自分の武器になる。好きなものに没頭する才能は、人生を豊かにしてくれるし、単純に楽しいだろう。

 学生時代は何でもできたはずなのに、こっちを選んだら他のものは捨てなければいけないと思ってしまった。例えば僕の場合は、運動部に入った段階で文化系の趣味とは縁を切らなければいけなかった。そう思い込んでいた。別にコッソリ美術部に入るとか、ギターを習うとかしても良かったのだ。

 あの頃の空気感として、文化系イコール暗いヤツという固定観念が根深くあったと思う。僕のコミュニティが特にそうだっとというより、結局は僕自身の偏見なのだが、実際に文化系の部活の人間がイジられているのを見たことはあった。そんな生き難い世界で、運動部と文化部の二刀流は難しい。

 そうやって執着心を捨てていったような気がするので、シンプルで生きやすい方を選ぶ性質に変化していった。ただ、仲良くなりたいと思う人間はオタク的な素養を持ち合わせた賢人が多い。シンプルな人間同士の付き合いは楽だが刺激は少ない。知的好奇心を枯らさないためにもオタクは必要だ。

ラーメンが好きだと言ってもこだわりはなく、一般的な好物の範疇である。