ウニ牡蠣パクチー

 子供の頃は食べられないものでも、大人になると大好きになる食べ物がある。大人がご馳走だと言って食べているものでも、子供の舌には塩辛いとか臭いとか、極端な部分しか分からない。クセの向こう側にある旨味を味わうことができるのは、経験によって自分の舌を鍛えてきたからなのだろう。

 あとは、苦手を克服することを「成功体験」として、そのカタルシスとともに記憶していることも大事な要素かもしれない。僕は、幼い頃はトマトが苦手だった。それは食わず嫌いに過ぎなかったのだが、頭の中に苦手だった頃の感覚が薄っすらと残っている。おそらく、あの青臭さが要因だろう。

 トマトは、父親がトマトジュースを旨そうに飲んでいるのを見てチャレンジしたのがキッカケだ。絶対に不味いと思っていたのだが、意外とクセがないと感じたのだ。旨いわけじゃないのだが、思っていた不味さと違ったので嫌悪感がなくなった。人間で例えるなら「意外と良いヤツじゃん」的な?

 このプロセスで、ほとんどの野菜は食べられるようになり、成長期にはサラダの摂取量が草食動物レベルに高まった。まあ、サラダだけじゃなく、ご飯も肉も大いに食べたのだが。当時は、まったく太らずに上に伸び続けて行った。オバQのような食欲に振り回された親には、感謝しかないっすよ!

 なんでも食べられると思っていた僕だが、意外なところに敵が潜んでいた。社会人になって初めて食べたエスニックに、そのワナは仕掛けられていた。パクチー。ヤツとのファーストコンタクトは、完全にコチラの戦意喪失によるテクニカルノックアウト。あの味を、当時の僕はバッタ臭と呼んだ。

 子供はバッタなど、昆虫は大好きだ。それらが、ある日を境に大嫌いになる。僕の場合は、バッタの腹をあらためて見た時に戦慄した。紫色のグロいヤツ。その嫌悪感がパクチーを最初に食べた時に蘇ってきたのだ。でも、数年後には慣れて好物転換した。人の気持ちはコロコロ変わる、特に僕は。