何処から来た、何処へ行く

 前世とか、来世とか、生まれ変わりとか、輪廻転生をあまり信じていないところがある。生まれ変わることを考えると、現世での諸問題をペンディングしたくなりそうな弱さが僕の中にあるからだろう。特に必死で生きている感はない僕だが、とりあえず現世で燃え尽きたいと思っているのである。

 こんな感覚を持つに至った時点で、僕にとって輪廻転生は長いこと思考の埒外にあったのだ。それが、小さなキッカケで「待てよ」と思ってしまったのだ。生まれ変わりがあるという前提での思考になるが、僕が人間として生まれたのが「初回」だとしたら、輪廻を信じないのは当然だと思うのだ。

 これが、本当に生まれ変わった人なら、普通に「あるでしょう」と思うのかもしれない。自分がそうじゃないから分からないけれど、スピリチュアルなことを当たり前のように話す人は少なからずいる。そんな人たちにとっては輪廻ありきの世界というか、手離しで信じている可能性はあるだろう。

 もちろん祖先というのは絶対にいるので、そこから連綿と続く血の流れのようなものは理解できる。それが偉人であれば、現世でその偉人との共通点が表れたら「生まれ変わり」と言いたくなるだろう。遺伝というヤツだ。遺伝情報の伝達がどこまで遡れるのかは、僕の理解の及ばないところだが。

 そして、前世は必ずしも人間とは限らない。飛ぶ夢をよく見る人は「前世が鳥だった」という話を聞いたことがあるような気がする。泳ぐ夢なら魚だろう。どちらの夢も記憶にはないのだが、高いところから落ちる夢はよく見るので「飛べない鳥」だったのかもしれない。あ、前世信じてるじゃん!

 僕が前世トークを避けるようになったのは、いわゆる合コンでの無駄質問が原因だ。まず多いのが「エスかエムか」の二分化。エスといえば主導権を握れるらしい。これと合わせて「次に生まれ変わるとしたら、男か女か」という問いも無意味に感じて、毎回「生まれ変わらない」と答えたものだ。

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会津栄螺堂の入り口。仏教建築は時空を超えた凄みを感じられる気がする。