言葉は転がる石のように

 普段なにげなく使っている言葉でも、その出自を聞くとハッとするものがある。例えば「生き急ぐ」という表現があるが、これは古くからあったものではない。「死に急ぐ」という言葉の反語的なニュアンスで、ある歌の歌詞に登場したのが80年代の初頭。それが、そのまま浸透したと思われる。

 歌詞の中で使われた言葉だけに、その具体的な意味は作詞者にしか分からない。作詞者自身も曲のニュアンスで表現しただけかもしれないので、厳密な意味は重要ではないのだろう。それでも、僕らは意味を深読みしてしまう。死に急ぐと生き急ぐの間にある、微妙な違いを探り当てたいのである。

 死に急ぐというのは自殺願望というか、命を粗末にするような生き方を指していると思う。スポーツや冒険などに取り憑かれて、それ以上やったら壊れてしまう境地に至っても引く気のない覚悟というか、そこに魅入られてしまったクライシスジャンキー的な状態の人間なのではないかと想像する。

 これに対して生き急ぐというのは、何か違いがあるのだろうか。これに関しては出典元のイメージを借りなければ想像できない。伏せる必要もないので、その出典元は「スローなブギにしてくれ」という青春小説を元にした映画の主題歌だ。本来ならばその小説も読むべきだが、読まずに考察する。

 その曲は気だるいムードというか、投げやりな男の不貞腐れたような口調で語られる世界観を想起する。そこで言う生き急ぐは、あまり必死ではない。死に急ぐとは真逆のニュアンスで、命を粗末にしていると感じる。生き恥を晒すに似た意味合いだろうか。ただ雑に生きているように感じるのだ。

 ただ、その歌詞から分離させて言葉単体で読み解くと、死に急ぐよりも生き急ぐと記す方が情熱的な生き方が浮かび上がってくる。無軌道な青春であったり、30歳前に急逝した伝説のアーティストたちのような瞬間の輝きが思い浮かぶ。彼らは死に急いだのではなく、生き急いだのだと思いたい。

急がずに生きている僕は、なるべく多くの美味いものを食べて長生きしたい。