忘れ続けるサバイバー

 保護色という言葉がある。動物や昆虫が外敵から身を守るために、環境と同化するような姿形に擬態するといった意味だろうか。でも、擬態はともかく、表皮の色が周囲と似ているといったことは偶然のような気もする。たまたま見にくいから天敵に見つからず、種として生き残れたのではないか。

 これは別に僕の意見ではない。出典ははっきりと覚えていないのだが、TVの動物バラエティとかクイズ番組とか教養番組などで学者が言っていたような覚えがある。誰が言ったのかは覚えていないが、保護色を偶然の産物とする考え方は腑に落ちた。そして、僕自身のものの考え方にも影響した。

 言葉そのものの意味を鵜呑みにするのではなく、合理的な説明がつく反対意見を持つことも大事だと思うようになったのだ。保護色の件が先の学者の見解通りなのかは知らないが、そういう見方もできるという柔軟性の問題なのだ。凝り固まった先入観より、変な新説の方が面白いに決まっている。

 至る所で何度も話したことなのでここでも既発かもしれないが、かつて僕はカウボーイが履いているブーツのカカトに付いた拍車のことを「コックローチキラー」と呼ぶと思い込んでいた。西部開拓時代の米国にはGが多く、カウボーイが拍車でガシガシ駆除しまくっていたというのを読んだのだ。

 その出典も忘れてしまったが、たぶん音楽雑誌のコラムだったと思う。しかし、現在ネットで調べる限り、あのウエスタンブーツのカカトの部品は馬を走らせる時のアイテム以外の使い道はなさそうである。ただ僕の中にコックローチキラーという最強ワードあるので、事実が虚構を越えないのだ。

 ちなみにコックローチキラーという言葉を調べると「殺虫剤」が出てくる。ブーツのカカトの話題は出てこない。そのたびに、僕は当時の雑誌を切り抜きでも良いから保存しておけば良かったと思うのだが、雑誌でも本でも、面白かった箇所に付箋を貼るタイプではないので忘れてしまうのだろう。

骨董品などを見て渋いなぁと思うことはあるが、手に入れたいとは思わない。