最近の昭和はどうなんだ

 よもや令和4年のこの時代に言うのも憚られるが、僕にとっての源流は昭和にしかないような気がする。自分をカタチ作る要素は、すべて昭和の中にある。時間的な長さで言えば、平成の時代はマルッと生き抜いている。それでも昭和の方に染まっていると感じてしまうのは、何が原因なのだろう?

 そもそも、元号による区切りに大した意味はないと思う。ただ属性として、自分には平成に育ったという認識がない。昭和生まれの昭和育ちという感覚しかないのだ。中学生の頃にTV画面で「平成」の字を見た時も、それは他人事のように思えた。地続きの自分は、昭和の砂利道の上にいるのだ。

 近所がまだ完全にアスファルト舗装されていなかった時代の記憶が残っている。近所の駅舎が木造で、高架になる以前の姿を覚えている。そういう記憶が、僕を昭和に縛り付けているのかもしれない。むかしのことを覚えているのが大事だと感じるのは、忘れてしまったら誰も振り返らないからだ。

 僕が歌謡曲をディグるようになったのは、そんな昭和再発見活動の一環かもしれない。そんな意識があるから、動画サイトや雑誌などでも歌謡曲特集などをチェックしてしまう。僕がアンテナを立てているから引っかかるのか、世間的に流行っているから目につくのか、本当のところは分からない。

 とは言え、すべてが時代によって明確に区切られているわけではない。だから、僕が感じる昭和的なものが、本当は平成以降の現象だったり、または昭和以前の古い価値観だったりするものもあるかもしれない。結局それは僕による昭和の評価に過ぎないのだ。そして、それは何かと比較できない。

 僕より若い人による、昭和の歌謡曲批評のようなものを見たり読んだりすることがある。そこで違和感を感じることがあるが、そういう違和感こそが僕の昭和評になるのだろう。若い人の遠い視点の方が現実を上手く解説しているかもしれないのに、僕のバイアスによって歪めている可能性はある。

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古かったり、劣化しているものに心を奪われるが、それもすでに平成製だ。