検体として差し出す

 僕は思い浮かんだアイデアを考え無しに口にしてしまうタイプだ。思いつきを校正レスで提出してしまう。それでひんしゅくを買うこともあるが、長年のクセで抜けない。最近では「そんなこと言うなら自分でやれば良い」などと言われてしまう。でも、実は自分でやれることはやっていたりする。

 そういう説明が足りないから、単なる思いつき垂れ流し人間だと思われて、存在感の軽さが累積されてゆく。それでも構わない。年齢と共に軽くなれたら、こんなに自由なことはない。でも、僕が他人に何かを提案する時は、きっとその方が、もっとその人が楽しくなれるって信じている時なのだ。

 別に極端なことを言うわけじゃない。パンクバンドを組めとかアクティビストになれとか、そういう過激方面のことは言わないし、興味もない。いや、パンクバンドは自分が組みたいから言うかも……。もっと簡単で生活に取り入れたら楽しそうな要素を提案するだけだ。それが鬱陶しいのだろう。

 ここ数年クルマの使用頻度が減ったので、自分のクルマを処分してしまった。だから、現在は公共交通機関か家のクルマを借りるかの二択である。そんな僕だが、いつでも次のクルマを欲しいものリストに入れている。ただ、欲求をマックスに満たす魅力的な車種が浮かばないので、保留している。

 そのくせ、他人がクルマを欲しがっていると見ると思いっきり提案する。普段から脳内にストックしてあるリストから、その人に合いそうな車種を選ぶのは楽しい。そういう提案ごっこの中から、次の自分が欲しいクルマがみつかることも知っている。

 そんな無責任ディーラー活動をしていると、冒頭の言葉を浴びせかけられる。そんなに欲しいなら自分で買えば良い、そういうことだ。僕にとって、僕がクルマを買うことなんて珍しくも何ともない。でも、知り合いが初めてクルマを買うシーンは興奮する場面だ。そんな場面に立ち会いたいのだ。

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発想を具現化する方が難しいので見本を見せろと言われる。逃げる。