深層心理が求める画角

 現代は、すべてのスマホユーザーが高画質なデジカメを持ち歩いているようなものだ。街は素人カメラマンで満ち溢れている。日常の気づきを写真に映し、そのことをキャプション付きで投稿しているのだ。誰もが何かしらのソーシャルメディアに所属しており、気が向いた時に情報を上げている。

 それらを何の気なしに眺めつつ、時おり心が動いたものに反応する。ただ、その心の動きが恥ずかしい方面の動揺だったりすると、その反応はシェアしない。あくまで大多数の他人と共有しても恥ずかしくない感情の動きだけをシェアする。そうなると、必然的に飲食ネタばかりに偏ることになる。

 僕も複数のエスエヌエスを利用しているが、そこに投稿する時には非リア充を偽装して公開している。偽装するまでもなく非リア充な現状ではあるが、あまり人に羨まれるような情報は公開しない。せいぜい「昼食べたラーメンが美味かった」程度の情報だ。それもコスパを意識したケチな投稿だ。

 そんな投稿にも一応写真は貼りつけておく。文字情報だけを載せるとポエマー感が出そうで避けている。年齢を重ねると大したことじゃなくても「言った気」になりたくて、語りがちになる。中年の話は長いというのは定説だ。誰もが学校の集会で苦痛を味わっている。そうならないための写真だ。

 食べたものを撮り、それの感想と店舗情報、メニューの値段などを載せれば、一応は誰かの役に立つかもしれない。そういうグルメ情報的な投稿に擬態して、仲間への近況報告をしているわけだ。あまり反応はないが、古い仲間がそのうちコメントしてこないかと待っている。気の長い釣りなのだ。

 そんなエスエヌエスに載せる写真にも自分の手クセが出る。僕は食べ物をなるべく真上から撮りたいと思ってしまう。角度をつけた写真はセンスが問われるので、いつも同じ構図にして、こだわりを演出している。でも、本当は食べ物には何の感慨も持っておらず、単なる飾りに過ぎないのである。

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この焼き鳥屋はカウンターが絶望的に汚れてたので、仕方なく上から撮った。