ポセイドンのギフト

 数年来の自粛ワールドの余韻で、いまだに遠出は控えている。出掛ける気持ちになれないのだ。実際まだ完全に無警戒でウロウロして引け目を感じないわけではない。ウイルスに感染するリスクは高いし、そうなった時にはそれなりの手続きがいるだろう。それでも前よりは出口に近い現状だろう。

 そんな数年のあいだ、僕は海に行ってない。出張で通り過ぎたことはあるが、目的地として海に行ってない。僕が海に行くのは、ある種の苦手の克服だ。あまり泳げないけれど、そっち方面の苦手ではない。若い人が夏の海で遊ぶハシャいだ感覚、あれが苦手なのだ。だから、夏の海には行けない。

 それでも、海への憧れは強くある。それは海なし県民の性だ。生活の中に海があるというのは如何なる感覚なのだろう。そういう日常と地続きの海を味わいたくて、オフシーズンの平日にフラッと海を目指したりする。海の成分を摂取するかのように、年に一回くらいは海を見に行くことがあった。

 思い返すと、学生時代はあまり海に行かなかった。部活が忙しかったので行きたいとも思わなかった。最初の会社に入ってすぐに、先輩社員のクルマで伊豆に行った。夜中に出て、早朝の海辺でバーベキューした。他人の主導で行くのは楽だ。僕にとって海は、誰かに連れて行ってもらう所だった。

 その会社を辞めて、インド旅行に行った。気ままなバックパッカーごっこだ。南インドの海沿いを無目的に移動していた頃、ある町で数週間過ごしていた。そこの海で夜の散歩を楽しんでいると、海に映る月の明かりが一筋の道になっていた。そんな景色を眺めていると、おセンチな気持ちになる。

 その景色を完全にパッケージすることはできないと思ったが、手元のカメラで撮ってみた。すると、そのシャッター音に反応する気配を感じた。月明かりの海辺にしゃがみ込む人影チラホラ。そうだ、インドの人は海で踏ん張るのだ。さっきまでのセンチメンタルが消えて、愉快な気持ちになった。

海岸寺院の向こうは浜辺になっていて、夜の波打ち際はウォシュレット化する。