ハイボールが目に沁みる
ストレスで突然声が出なくなる病気があるという。心因性失声症という病名らしい。酒場の仲間のひとりが、突然声を失ってしまった。心因性と聞くと、なんとなく気持ちが弱い人がなるように思われそうだが、彼は弱いタイプではない。優しい人間だが、それだけで類型にハメるのは無理がある。
声が出ないのが日常化して、当たり前のように思っていたところ、昨夜久しぶりに会ったら声が戻っていた。話している彼の姿を見ると、やはり話せなかった時より元気に見える。もともと明るい表情の人間だったが、さらにパワーアップしたような感じだ。そんな彼に、みんなが話しかけていた。
日常を失うと、当たり前なことが急に大事に思えてくる。日々を大事に過ごしたくなる。忘れてしまうことだけれど、思い出した時くらいは強く願おう。現在はすぐ過去になり、人間は衰え続けるものだ。昨日と同じような今日はないし、明日も今日と同じような日常が続くなんて保証はないのだ。
これは昨日のことを思い出して、現在の僕が思ったことだ。昨日の僕が何を考えたのかは覚えていない。ただ、酒場で交わされる会話のすべてが愛おしく思えたのは間違いない。隣で、後ろの席で、向こうの席で話すみんなのことが愛おしかった。泣きそうになって、まだ飲みたかったのに帰った。
幸せな気分を胸に、もう一軒寄って行こうとハシゴした。ハッピーのお裾分け感覚で次の店に行くと、ラストオーダーだった。仲のいい店主の店なのだが、閉店ギリギリで行くと不機嫌なのを忘れていた。その上、ワンオペで大量のフードオーダーをこなしていたので、ほぼ無言で一杯だけ飲んだ。
僕の特徴として「場違い」というのがあるのだが、それに加えて「蛇足」というのがある。それさえなければ良い一日を終えられたのに、欲張って残念な結末になってしまう。ハッピーのお裾分けのつもりが、不機嫌のカウンターパンチを喰らってしまった。何歳になっても去り際は難しいものだ。