すべてはオープンセサミ

 何か新しいサービスを受けるたびに、パスワードを考えなければいけない。IDとパスワードのセットを把握していないと、そのサービスは引き継げない。だから忘れないために手帳にメモを残している。毎年手帳を買い換えるたびに、そのパスワードの一覧を改めて書き写し続けている。面倒だ。

 よくよく考えると、それらのサービスをすべてやめても困らない。いや、仕事に関わる部分は困ってしまうが、それはほんの一部だ。少なくともスマホで使うサービスに関しては、それがすべて使えなくなっても構わない。多少の不便は感じるが、それより縛りから逃れた自由の方が大きいだろう。

 でも、あまりに多くのアプリやサービスにスマホが紐付けられているので、それらの解約などの手間は悩ましいところだ。いっそ捨ててしまいたい衝動に駆られるが、スマホの解約だけは必要だ。そんなことを考えてしまうのは、今日も新たなサービスを受けるための手間が生じたストレスによる。

 僕は、カンタン手続きなどと謳っているサービスを簡単に完了できたことがない。手順をトレースして進めているはずなのに、気が付いたら行き止まりにいる。手続きが先に進まなくなっている。こんなことには慣れているので焦らないが、ただイライラは募る。こんな時にスマホを捨てたくなる。

 気分を鎮めるために、今夜は酒場に向かう。そこで、この手続きの顛末を話すのだろう。そこで誰かの知恵が僕を正解に導いてくれるという期待も少なからずある。甘えた発想かも知れないが、これこそ集合知というものだ。愚民が数少ない知恵を寄せ合って生きているのが独身中年の日常である。

この地名は「わかしらが」と読むらしい。何歳になっても知らないことだらけ。