果てしないリテラシー

 たまに聞くリテラシーという言葉には、人を見下すような上からの目線を感じてしまう。言葉の意味は「識字率」とでも訳すのだと思うが、ある分野に対しての共通認識というか、習熟度を測るような意味あいも含まれる。その専門知識を「わかっているか」という踏み絵的な意味のリテラシーだ。

 よく場違いな場所にノコノコ顔を出す僕は、このリテラシー踏み絵で何度か蚊帳の外に置かれたことがある。この質問をしてわからないヤツは「相手にしなくていい」という場の共通認識があったようだ。でも、それでは僕に何ら得るものがないので、その質問者にしつこく聞いて回ることになる。

 そうやって恥をかいて知識を得ても、聞いた後で「なるほど、深いですね」とはならない。ただ、何を「勿体ぶりやがって」と小さく怒る程度だ。もちろん、心の中でそっとだ。でも、そのような苦労、というか生き恥を晒して得た情報なので、他人に話すときに僕も遠慮がちに勿体ぶってしまう。

 現在、両親の電話をスマホへ移行中で、悪戦苦闘している。僕とは使っているキャリアも端末も異なるので、勝手が違うのだ。それでも移行手続きは這々の体でなんとか終わった。何も問題なく動かせているかというと、それは問題だらけなのだが、僕も親のスマホの設定だけに構っていられない。

 もう繋がったのなら、動画検索でもネット検索でも無料のアプリでも、なんでも好きなように楽しめば良いと思ってしまう。しかし、その端末ではグーグルアカウントを取得しなければいけないようだ。アカウントを作ると個人情報漏洩の拠点になりそうなので、あまり気が進まない作業ではある。

 そんなこちらの心境とは裏腹に、両親は新しいスマホを持って少し浮かれている様子でもある。まだできることは限られているのだが、せめて新ツールの利点を見せてあげようと数少ない使えるアプリの動画検索を教えたら、母親の好きな島津亜矢に熱心に見入っていた。明日ちゃんと設定しよう。

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親がスマホを使いこなし、インスタで映える写真をアップする日も近いのか?