ブラッドタイプアレルギー

 物心ついた頃から、僕は他人の逆をいくことの方がカッコいいと思っていた。いや、小さい頃は単にかまって欲しいとか、目立ちたいという心境だったのかもしれない。でも、それは僕がそう思うような外的要因があったからだ。それは血液型だ。僕はAB型で、子供の頃は珍しがられていたのだ。

 いつから血液型の分類があるのかは知らないけれど、小さい頃からAB型は芸術家肌だとか言われていた。幼少期は絵を描くのが好きだったので、その才能を伸ばそうと大人が考えたのかもしれない。とにかく、自分が好きで描いている絵がやたらと褒められたので、幼稚園児の頃は絵に没頭した。

 小学生になると、絵を描くことが楽しくなくなった。それはスポーツで活躍する方が周囲からもてはやされるからだ。絵を上手に描いたところで、年に数回ほど教室に絵が貼り出される程度のことだ。むしろ、誰に見向きもされない絵を晒されるその時間が苦痛に感じることもあった。被害妄想だ。

 とは言え、僕の性質は小さい頃に固まってしまっている。人と違うことを良しとする、変わっていることが正義だと感じる心が育まれてしまった。それが、時には被害妄想的に、別の面では意固地で頑なに発揮されてしまう。僕のそういった態度を総じて「AB型っぽい」とされてしまうのである。

 でも、そのAB型っぽさは後天的なものだ。僕がAB型の類型だとは思わない。そもそも血液型での性格分析は根拠がないとされている。ただ、その分類が先入観として多くの人に行き届いている状況では、周りが類型に追い込むことはあるだろう。僕のAB型っぽさの大部分はソレでできている。

 そんな鬱屈した思いがあったので、高校生になると血液型への不信感は強まっていた。血液型分類に詳しい同級生などにそういう不満をぶつけると、それこそAB型っぽいなどと話にならないことを言う。あの頃からボンヤリと分かっていた。馬鹿なふりしたヤツがラクして生きられるってことに。

f:id:SUZICOM:20210808112532j:plain

橋が3つ並んでいる様が気に入って撮った写真の背景には東京拘置所が。