君の体は無限のキャンバス

 先月の中頃にかけてやる気を失っていた当ブログだけれど、気を取り直して再開したのも束の間、多忙にかまけて更新するのをすっかり忘れていた。年に一度だけの繁忙期だが、年々発注元の扱いが雑になって、ひっきりなしに仕事依頼のメールやデータ修正の指示が送られてくるので直ちに戻す。

 そんな数珠繋ぎの日々にうんざりしつつ、夕方に飲みに行こうと思うと、そのタイミングで重めの仕事が送られてくる。終わらせた方が翌日が楽なので、その仕事に手をつけると飲みには行けなくなる。そうこうして、酒場にも通えずに数日。気持ちが腐りそうなので、昨日は無理矢理に出かけた。

 よく行く酒場に顔を出したら、女の子に声をかけられた。見覚えはあるけれど名前が出てこない。かなり久しぶりに会うので、多少の見た目の変化が判断を鈍らせた。でも、彼女の方は僕を覚えていた。年齢の差だろうか。それとも他人への興味の問題なのだろうか。何やりも大事なことは興味だ。

 面白がる精神さえあれば、この世を楽しく生き抜くことができる。その原動力が興味だ。好奇心と言い換えても良い。そういう感性を鍛えてきたつもりでいたが、むかしから人の名前は覚えられない。他人を妬みたくないので、人に興味がないフリをしてしまう。それが身についてしまったようだ。

 昨日も興味がないフリが出そうになって、急ブレーキを踏んで興味を轢き殺さずに済んだ。その久しぶりに会った子が、体に描いた絵をチラリと見せてくれたのだ。酒場は暗いのでハッキリは見えなかったが、なかなかのガッツリした絵柄だった。その時に浮かんだ質問が「それいくら?」だった。

 そんな下世話な質問を迷わず放り込める程度にデリカシーを下げたい。いや、脳と口を直結させれば垂れ流し式に出る質問だ。今でも聞けばよかったと思っている。遠慮することは興味の低さに見える。矢継ぎ早に質問する軽薄さも時には大事だと思う。年齢という呪縛に勝手に縛られているのだ。

疑問に思っても質問できないタイプだ。なぜ雷門の提灯が畳まれているのか?