雪に書いた感想文

 子供の頃、映画を観に行ったら母親に感想を言わなければいけないと思い込んでいた。それは、母親がそういう感想を逐一丁寧に言う人だったからだと思う。いや、今でも逐一丁寧に言う性格は変わってない。こちらが知りたいこと以外の全部を話して、聞きたかったことを忘れることも多々ある。

 だから、子供同士で映画を観に行ったときも「後で感想を言わなきゃいけない」という使命感から集中できないのだ。まあ映画を観進めているうちに使命感は忘れてしまうのだが、帰りのバスの中で細かいストーリーを追いかけているうちに細部を見失う。そこで必死に思い返して組み立てるのだ。

 そんな鑑賞の仕方をしていたなら、あらすじを簡単に説明できる資質が備わっていそうなものだが、果たして僕にそんな資質は備わっていない。それは、ある時から母親が僕の説明を真面目に聞いていないことに気が付いたからだ。みんな自分の話はするが、人の話は聞かないものなのだと知った。

 それでも、今でもいい本を読んだりすると人に薦めたくなる。その際の推薦文を頭の中で箇条書きしてみることもある。そうやってシミュレーションすると、本当にその本が相手にとって大事な本のように思えてくる。薦める相手も想定している、というか僕が本を薦める人間はひとりしかいない。

 そのひとりは、酒場のバイト女子だ。現在、その酒場は営業していないのでバイト女子も出てこない。以前なら、貸し出した本を読んで返すタイミングで「じゃ、次はこれどう?」と薦めるという数珠繋ぎを繰り返していた。無理強いはしていないつもりなので、今のところ苦情は出てないと思う。

 本心はわからないのだが、それでも通勤の暇つぶしになればというエクスキューズ付きで貸し続けていた。そんなオススメの本が、また一冊できてしまった。読み終わった後に、すぐ「あ、あの子に読ませたろ」と思ったのだが、いまは会えないのだ。初恋のように焦がれてしまう。会いたいな(笑)

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掲示板を立たせておくための補強。地元住民の掲示板に対する執着が見える。