噂の真相から離れろ

 ある事件があったとして、その事件について最初に持つのは被害者への同情や加害者への怒りだったりする。当事者でもないので、よほど残忍な事件でもない限り怒りよりも同情の方が大きいかもしれない。可哀想とか、悲惨だなくらいの感情だ。その程度の気持ちを傾けるくらいで忘れてしまう。

 でも、事件解決まで長引いたり、社会問題化するような事件だったりすると、その後の追加取材で別の側面が見えてきたりする。世の中は勧善懲悪の世界ではないと知りながら、それでも事件当初は被害者と加害者はハッキリ別れている。それを多方面から見るうちに境界が曖昧になることがある。

 やっぱり当事者じゃないという気持ちを強く持って、最初の印象のまま忘れてしまった方が良い。その後に社会問題化した際も「よく分かんないや」ととぼけるに限る。それが大人の嗜みであり、正しいやり方だ。僕はクールに振る舞えないので、ガッツリと話しては浅い知見を露呈させてしまう。

 でも、僕はそれで良いのだ。そんな浅い見方を提示することで、本当のクールが浮き立つわけだ。本物の知識人は多くを語らず、意見は墓場まで持ち越すのだ。遠くから話さないという姿勢は、僕も目指したいところだ。もっと先、老境に差し掛かったら、僕にもそんな振る舞いができたら良いが。

 事件とは異なるが、ワイドショー的なスキャンダルネタで酒場が盛り上がる時がある。そういう下世話な話題にも首を突っ込みたくなる。他の人とはひと味違う角度から、僕なりの見解を述べたりしたくなる。ナナメ上を狙うというヤツだが、そういう狙っている人間の匂いには誰もが敏感である。

 とは言え、子供の頃からの習性でナナメ上狙いのことしか考えてないので、呼吸するようにズレたことを言う。それに対する周囲の反応が冷たいのを知ったのは、実は最近のことだ。僕は言えりゃぁ良いので、ほとんどの言葉は言い逃げだ。責任を問われるようなことは言わないが、まあ無責任だ。

生まれつきの天邪鬼さにウンザリしているので、たまには定番を頼んだりする。