出遅れティアヌス帝

 カタカナ言葉はしれっと定着するものもあれば、その後使うのが恥ずかしくなるようなダサい感じになってしまうものもある。だから、最近よく聞くなと思っても、初期段階では見の姿勢を取ってしまう。そうすると、結局その後も使わなかったりする。意味すらわからないまま消える言葉もある。

 いま、僕が持て余しているのは「メンター」という言葉だ。知らないうちに使われていたようだが、僕の耳に意味を伴って入ってくるようになったのは最近のこと。チラッと検索してみたらビジネス用語に由来するらしい。だいたいのカタカナ意味不明言葉はビジネス由来だ。だから僕に届かない。

 ビジネス用語がこなれて一般レベルでも使われるようになると、僕のような地底人にも聞こえてくる。当初、僕はこの言葉を「メンダー」と聞き間違えていた。タガメのことだ。東南アジアでは食用でも流通しており、昆虫食の見た目では上位のグロさがある。そのインパクトで覚えていた言葉だ。

 タガメと勘違いして聞いているから、意味のある言葉として成り立たない。なんとなく東南アジア旅行の話でもしていたのかな、くらいな感じで聞き流してしまう。それを文章として読み、流れを考えると「師匠的な意味かな」と察することができる。指導者や助言者という意味なので遠くはない。

 たぶん僕がメンターと言語化することはないだろう。機会がない。メンターに当たる存在はいるかもしれないが、そんな恩義のある立場の人をメンターなんて軽い言葉で表したくない。そんなわけで、せっかく覚えても上手く使えない言葉というのはある。少し前だとリテラシーがそれに該当する。

 僕が最後に勤めていた会社の社長は、カタカナ言葉がカットソーを着て歩いているようなタイプだった。会話の中に聞き馴染みのない言葉が入ると「また始まった」と思った。そんな気配を察して、自分から「新しいものを発信するためには、新しい言語を使えないといけない」と開き直っていた。

僕の周辺の世界はカタカナ言葉では表現できないような寂寥感に溢れている。