外来語禁止ホールにて

 以前勤めていた会社の社長が、やたらとカタカナ言葉を使う人間だった。意味が分からないので聞き返すと「自分で調べなさい」と言う嫌な野郎だった。その言葉を調べることで「成長させてあげている」と言う押し付けがましさを感じたが、そんなもん調べたところで人は成長なんてしないのだ。

 とは言え、僕本人がその社長に「自分で調べろ」などと言われたわけではない。会社の中でイジられキャラみたいになっている人間が、不用意に「意味が分からないんですけど」と言って注意される様式美だ。それは大体会議中でのことで、そこから社長の個人攻撃が延々と始まり、会議が長引く。

 散々引き伸ばされた「何も決まらない」会議は、誰かの終電が近くなったところで終わる。何も決まっていないので、最後に社長が「じゃ、今回もペンディングかな」と締める。それを聞くたびに、内心「出た」と思うのだが黙っている。でも、表情に出てるのでバカにしていることはバレバレだ。

 そんなカタカナ嫌悪を持つ僕だが、その頃に呪いにかかったらしく、たまにカタカナ言葉を発してしまうことがある。ほとんどのカタカナ言葉はマウンティング用のツールだと思う。相手に対して、理解力を試すようなところがある。日本語で伝わる言葉を、わざわざ外来語に置き換えるのだから。

 最近の言葉でイチバン無意味に感じるのは「エビデンス」だ。日本語に直せば「根拠」である。文字数で上回っている以上、カタカナ言葉を使う意味はない。あえて曖昧にしているような気もする。これが使われるのは国会の質疑などで、質問者が「エビデンスを示してください」と詰める場面だ。

 だから僕はエビデンスという言葉は使わないし、使いたいとも思わない。でも、僕にも使いたくなる言葉がある。それは「アティテュード」という言葉だ。意味は「態度、姿勢」などか。文字数的には無意味だ。それでも使いたくなる魔力がある。単純に言葉の響きとしてカッコいいと思うからだ。

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アティテュードと共に「イデオロギー」も使いたくなる言葉だ。