オルタナティブの呪い

 子供の頃は母親に連れられて床屋に行っていた。買い物のついでに床屋に預けられ、買い物が終わると迎えに来る。それが小学校に入るくらいまで続いていた。小学生になるとひとりで床屋に行くのだが、出がけに母親から定休日の確認があり、そのせいで今でも床屋の定休日が曖昧になっている。

 母親は美容院に行くので、床屋も同じ定休日だと思っている。だから「今日は火曜日じゃないよね」と確認が入るのだ。美容院の定休日は火曜日らしいが、床屋はだいたい月曜日だ。これは何回言っても直らなかった。もしかしたら母親が子供の頃のエリアは、一律火曜定休だったのかもしれない。

 そう思ったのは、さっきネットで美容院の定休日を調べたからだ。関東では火曜定休が一般的だが、これは戦後の電力制限で、関東では火曜日が電力を控える日だったというのが起点らしい。それで考えたら、床屋も火曜日を定休にしていてもおかしくはない。古い習慣が残っていた可能性はある。

 ま、それはそれとして、このことで僕は美容院と床屋の定休日がテレコになることがある。これが僕の「二択の曖昧化」の原因かもしれないのだ。それは人名を覚える場面で表れる。例えば恵理子と理恵子。さほど珍しくない名前だと思うが、僕はこの名前の人に会うたびに逆の方を言ってしまう。

 僕の知り合いには「恵理子」しかいないはずなのに、そこに理恵子がカットインしてくる。誰だ、理恵子って。これに関しては二択でもないのだ。我から別の名前を出してきて「紛らわしいなぁ」と言っている。しかし、一度そう紐づけてしまうと分かち難くなってしまう。だから名前で呼ばない。

 別の知り合いの名前が「みえ」なのだが、友達に「えみ」がいて、しりとりすると永久に終わらない名前と笑って話したのだが、その時点で僕はひとつ諦めている。これは絶対に覚えられない名前だぞ、と。まあ女性を下の名前で呼ぶのは、愛川欽也か相当親しくなってからなので問題ないのだが。

自販機の横のアイテムも「使うのか、使わないか」という二択を問うてくる。