会話の迷路でさまよって

 興味本位で人に話しかけると、接点の話題から先に進めずに気まずくなる時がある。先日、ある男性が僕も知っているマイナーな団体との関わりを話していて、そのあとで話す機会があったのでその件を聞いてみた。最初は聞くつもりはなかったけど、共通の話題というエサに食いついてしまった。

 その話題の質から考えれば先は想像できたのだけれど、もう少し深い情報が出てきたら面白いかなと考えてしまった。話を聞いた相手のことではなく、その話題を共有する他の人間との関わりを僕が考えていたから、変な野心のようなものもあったのだ。つまり欲だ。欲に目がくらんだとも言える。

 結局その人との話は全然弾まなかった。僕がその人自身に興味がなく、共通の話題となったその団体のことを聞きたがっているとバレたのだろう。自分に興味がある人とは話したくなるかもしれないが、最初から興味が後ろに逸れている人間とは話したくもない。いい歳してそんなことに気付いた。

 この件ではお互いに素性も知らない他人だったので、後に遺恨は残らない。ただ、変な会話をしちまったなくらいの後悔だ。でも、もっと近しい人間にも同じようなことをしているという実感がある。酒場の知り合いに指摘されたこともあるのだが、僕は自分の興味で相手を遮断する時があるのだ。

 興味の対象は人それぞれで、多様な価値観を認めるのが時代の主流だし、どんな時代でも多様性に対して全方位的に開いていたい。そう思っている割に、自分の興味が向かない事柄に対しては冷たい。理解できないことを受け入れるのがシンドい。それは、つまらない側にいたくないという意識だ。

 自分の選ぶ方向性は常に面白く、笑えたり興味深かったりしなければ許せない。でも、無意味なものを笑うような風通しの良い感覚も大事なのだ。そういう開き方をしていれば、冒頭の人との会話も多少は弾ませられたはずだ。人間は生きているだけで奇跡なのだから、誰にだって興味は尽きない。

若い頃のひとり旅で名所だという理由だけで行った伊勢神宮。記憶は不鮮明。