圧迫する人数、人数、人数

 公共の場で団体がいると、ちょっと離れようと思ってしまう。人数は力であり、その力は無関係な人間から見ると暴力に等しい。彼らが無害な優しさピープルだったとしても、大人数というものは圧迫感を感じてしまう。学生が部活の試合で電車移動する時などは、軍隊の小隊レベルの圧を感じる。

 それが秩序を持った団体なら、偶然居合わせたとしても恐怖を感じるレベルではない。その人数を後ろ盾にして主張される無言のアピールを一方的に感じるだけだ。先のような部活の大移動だとしたら、彼らの興味は試合にあるわけで、目の前で繰り広げられる日常は目に入らないような気がする。

 僕が学生時代、電車で相手校に試合に行く時などを思い返すと、行く時はだいたい小さく緊張していた。上の空で、ただ現地に向かうルートを移動するだけの人型の器だった。そんな無心な状態の人間がゾロゾロと動いている姿が不気味なのだ。まあ不気味なだけで、その場合は無害とも言えるが。

 昨日は酒場の仲間と野球観戦に行った。現地集合だったのだが、集まった人数は13人に及んだ。帰りは団体での移動になってしまい、学生時代の感覚が戻ってきた。電車内を私物化するような、団体特有のエゴが出ないように警戒した。野球場のビールで酔っているので、理性はあまり働かない。

 結果的に言うと、やはりちょっと煩い迷惑な集団になっていたように思う。コロナ禍という面を差っ引いても、一般的な電車内のマナー的に迷惑な程度のイヤな集団だ。そんな風に思っているから、とってもノリが悪い。本当なら別の電車に乗ろうかと思ったが、なんとなく責任を感じて同行した。

 僕は、その団体行動が迷惑集団になることを事前に知っていた。だから、その状態になっているグループを見守り、他人からの指摘またはバッシングには「ごめんなさい」と即謝罪する覚悟でついていた。実際は車内の「つまらない話を大声でしやがって」と言う心の声に、心で謝るだけで済んだ。

たぶん箱根の景色。団体移動すると個人行動に焦がれて、ひとり旅したくなる。