センシティブなミドル

 加齢による劣化は仕方ないことだが、感性がすり減るのは悲しいことだと思ってしまう。なるべく最先端のものに触れなければと感じる反面、無理して合わせていないかと自問する部分もある。最先端に対して目線をフラットにするのも困難だ。経験が邪魔して、まっさらな気持ちで触れられない。

 自分よりかなり若い人と話す時には、つい自分の年齢を意識してしまう。共通の話題なんて何もないので、聞き役になるしかない。でも、聞いている内容に引っかかりがあればツッコミたいと思ってしまう。そのツッコむ言葉選びが難しい。フラットな僕が使う言語は、果たして通じるのだろうか。

 むかしから、あえて相手が分からないような言葉を使うことで場の空気をドンヨリさせるタイプだった。同世代相手には、それはツッコミ待ちのボケ合戦みたいな言葉遊びだった。そのクセが抜けずに、いまだに適当な言葉を拾ってきてはぶつけている。それは身に付いてしまった悪癖でしかない。

 世代間のギャップに関しては、結局分かり合えないものと諦めている。ただ、誤解されたくないとか、怖がらせたくないという想いは切実にある。通じ合えないので「怖い」だろうけれど、中年は決して怖くない。むしろ弱いし、若さへの憧れから逆に高圧的な態度にすり替わってしまう時がある。

 僕は高圧的にならないことだけを意識して、それ以外の通じ合えない部分に関しては、なるべく言葉を費やして理解してもらう方向で努力したい。諦めて「オレはオレ」と割り切っても良いのだが、まだ幅を限定するのは早いような気がする。もう少し間口を広く開けたスタンスで生きていきたい。

 先日、酒場の常連たちと野球観戦に行った時に、1人だけ圧倒的に年下の女子がいた。酒場の従業員の子が休みだったので、我々と同行したのだ。その際に感じたのは、中年に混ざっていても若い子は自分なりに楽しむということ。あまり意識しすぎは良くない。とは言え自然体というのも難しい。

収穫時期を逸して打ち捨てられた野菜。僕の賞味期限は残っているのだろうか。