オープンエアでビールを

 こじらせ中年の僕が言うのもナンだが、僕の周りの同世代にはひと癖ある面々が揃っている。そのひと癖が原因で結びついているとも言える。僕は無色透明のつもりで生きているが、周りからは気色の悪い色がついて見えているのかも知れない。その色を見て「同種だ」と判断されているのだろう。

 酒場の常連として知り合った同い年の男でひとり、同世代トークや共通の知り合いの話が合うので、いつの間にか仲良くなった人がいる。その彼は、モテない自分を励ますために、彼女連れの人間を見るとルサンチマンを爆発させるタイプだ。もちろん直接的な怒りではなく、陰口で対応している。

 僕もモテないし、どちらかと言えば「妬み」を抱えている側の人間だ。でも、その姿を客観的に見せつけられる機会が多かったので、その姿が美しくないことを知っている。だから、理解はできるけど「やらない方が良い」と肝に命じている。そのことを親しい人間には伝えていこうと思っている。

 妬みを客観的に見て来たと言うのは、つまり、僕の周りには非モテの輩しかいなかったことになる。そんな時期があった。非モテの人間にありがちなのは「自分は悪くない」との思い込みだ。でも、モテようとする努力を嘲笑うような態度を見せるので、それは良くない。もっと言えば醜悪なのだ。

 そんな醜い爆弾を抱えて、世間のモテ要素を全否定し続けている限り、見えてくる世界は非モテ側の冴えないものばかりだ。その世界で「自分は悪くない」の思考は「自分の方が正しい」に変化してしまう。モテないヤツが正しい世界など無い。すべての生物は、モテないと絶えてしまうのだから。

 とは言え僕も、モテたくて必死なのが美しいとは思わない。時としてなりふり構わない魂の叫びが共感を呼ぶことはあるかも知れないが、モテに必死になる様はすなわち非モテなのだ。ふて腐っても前のめりになってもモテない。モテたことがないので、モテないサンプルしか持っていないのだが。

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荒川べりで中年男がふたり、モテについて熱く語らう(写真はイメージ)。