だいたい交互にくる

 良い時と悪い時というのは、だいたい交互にくる。だから、前に行った時に楽しかった店でも、次に行った時は警戒してしまう。その警戒心が周りの人にも伝わり、余計に不信感を抱かれ、楽しくなくなってしまうということはありそうだ。結局僕は、常にハッピーでいることに慣れていないのだ。

 水戸の黄門様が主役の時代劇で歌われていた「人生、楽あれば苦あり」という言葉の呪いにかかっている。最終的な幸福の総量は同じで、それが良い方に行ったり悪い方に行ったりして、足したり引いたりしたら中間に戻るような気がする。そんな感覚があるから、楽しい時に警戒してしまうのだ。

 ここで言う楽しさは、基本的には酒場でのことだ。基本的に酒場はいつでも楽しい。何度も通って馴染みになった店なので、店と僕との間にはなんのストレスもない。ただ、混んでいる時などは気を使うことになる。そんな時はサラッと会計して別の店に行けばいいのだが、その割り切りが下手だ。

 やはり、行きつけの酒場なので、長時間飲んでいれば誰かしら知った顔が入って来る。混んでる店でのひとり飲みに勝手に疎外感と孤独を噛み締めていた身には、話せる人間ほどありがたいものはない。でも、現在はソーシャルディスタンスのご時勢だ。店が混んでいる時は、常連も入ってこない。

 そんな時に隣のカップルの話などが耳に入ると、話し相手のいない僕にはラジオと同じなので聞き入ってしまう。昨日も、手酌で飲りつつ隣席の男女の話を肴にしばし過ごしていた。しかし、聞こえて来る話題が眠くなりそうなほど退屈なのでイライラしてしまった。そこでやっと帰る決断をした。

 これは昨日の2軒目の店でのこと。僕の勝手な思い込みによると交互に楽しさが来るはずだから、次の店では楽しめるかもと思って3軒目に向かった。その段階で結構酔っている。酔いのせいで基本的にヘラヘラだ。楽しいと言うより、意識が朦朧としている。それで帳尻を合わせたと言えるのか?

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表裏一体という考え方もある。それだと常に楽しくても矛盾しないような。