フィルター越しのゴースト

 薄いカーテン越しに窓の外を眺めていると、隣のベランダに干してある洗濯物がはためくのが見える。その動き方が人間の動作に見えて、頭の位置くらいの場所に目の形と錯覚するような白い何かがあったりすると、完全に目があったような気になる。でも、その姿形は一瞬で消えて無くなるのだ。

 それは洗濯物の刹那の瞬間を目撃しただけのことだが、そんな偶然の重なりが幽霊目撃談の大多数なのだろうと思う。でも、僕だって目に見えないものを信じないわけじゃない。それは概念のようなものだが、他人に伝わらないという意味では幽霊と同じことだろう。それは僕の真意というヤツだ。

 まあ僕のセンシティブな部分のことは置いといて、誤認したオブジェクトを自分の都合の良いようにエフェクトをかけることはある。幽霊に見えた方が面白ければ、そこにあるトレーナーの洗濯物は幽霊なのだ。近所のことならば、その辺りにあった不幸な出来事と重ね合わせて細部を作り込める。

 ついさっき、作業部屋から外を眺めていた時にも、隣のオバサンが洗濯物を干してるなぁと思っていたら、やたらと同じ場所でターンを繰り返しているので凝視したら、風でクルクル回っているトレーナーだった。レースカーテン越しの世界は、いつも何かが動いている。それは大体人外のものだ。

 そんな先入観があったので、かなり前にも同様のシチュエーションで隣の家の窓をボーッと見ていたら、美容師見習いがカットの練習で使うような顔面の模型が窓際に置かれているように見えた。これは果たして何の見間違いなのかと凝視したら、隣の家の誰かが本当に外をずっと眺めていたのだ。

 やはり、幽霊なんぞより生身の人間の方が数倍怖いのだ。その場所から外を眺めても、たぶんどこかの家の裏側しか見えない。そんな裏側フェチなのかもしれないが、見られている側としては気分の良いものではない。僕は我が家の裏側には一度しか行ったことがない。狭くて体が入れないからだ。

ひんやりする所には何かあるというが、等々力渓谷の気温は平地より3℃低い。