目で見える世界の反転

 小さい頃は布団の中で、天井の木目が顔のように見えたり、空を見上げて雲のカタチを何かに見立てたりした。そういう見間違いが変化して、オバケ幽霊のウワサとして拡散するのだろう。枯れ尾花の類いだ。僕は高校生くらいまで幽霊系は苦手だったのだが、見たことも、見間違えたこともない。

 幽霊は見えないけれど、モノを凝視したり、ボンヤリ見たりして、別のモノに見えてくるような錯覚は好きだった。それは僕のコントロール下にある現象なので、霊的なニュアンスは皆無だ。ごく個人的に、頭の中で遊んでいた。その対象はトイレのタイルや壁のシミ、黒板を消した跡などだった。

 ランダムに置かれているように見えるタイルだが、それを凝視しているうちに、そのカタチにしか見えない造形が浮かんでくる。でも、視線を外すとさっきのカタチが分からなくなる。それが面白くて、トイレに入るたびにタイルばかり見ていた。いまだにトイレに入ると長いのは、そのせいかも。

 先の天井の木目もそうだが、最近の建物ではランダムなタイルも見かけなくなったような気がする。僕はいろんな建物を探訪する人じゃないのでデータは薄いが、そういう変な見間違いが起こらないデザインの素材に変更されてるような気がする。これは想像だが、ある種のクレーム対策だと思う。

 例えば天井の木目が「人が叫んでいる顔に見えて怖い」などと子供が言って、それをクレームとして持ち込まれたらあとあと面倒だ。それならサッパリしたデザインのもので初めから作った方が良い。そういえば、そういう材質は買い手が選ぶ場合が多い。要するに、選んだ自己責任ということだ。

 そうやって、次第にノイズのない世界になっていくのか。最近では人間の粗さも許容されなくなっている。雑な物言いやデリカシーのなさは攻撃の対象になる。でも、それが何なのだろうか。多様性の世の中で認められるのは、十人十色ということではないのか。デリカシーのある僕でもそう思う。

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地面のパターンをわざと遠目に見て別の模様が見えないかと試したが、失敗。