すぐそこにある異郷の扉

 以前、何の気なしに入った飲食店が、ものすごくローカルな韓国料理を出す店だったことがある。ほとんどの飲食店は日本人向けにアレンジされていると思うのだが、そこの店は味もそうだが、そもそもメニュー書きが解読不能だったのだ。そんな店にフラッと入ったコチラが悪いので、仕方ない。

 その時に食べたのはビビン麺的な、辛味のタレであえた春雨みたいな麺料理だったと思う。僕は、そういう不親切さというか、分からないことだらけの難解店で途方に暮れる感じが嫌いではない。でも、その時は同級生と一緒だったので、そいつの反応がイマイチだったことが楽しさを半減させた。

 彼はシンプルに味が口に合わなくて、ハズレの店だったと評していた。でも、本当はあの本場の雰囲気が合わなかったように思うのだ。不意に異国に放り込まれると、人間は対応できないものだろう。彼が店に飲まれて、逆にどんどん引いていく様は見て取れた。当時はそれを不満に思ったものだ。

 味に関しては、確かに美味くはなかったと記憶している。それは、どのメニューを頼めば良いか分からずに、唯一写真で「麺ものかな」とわかったものを注文したからだ。最初から自発的に選べていないので、正しい評価などできるはずもない。素直にオススメを聞けば良かったと後悔はしている。

 後日、彼からあの店のことを半笑いで語られたことがあった。地元をウロウロして、あの店を見かけた時に「ここにするか?」と誘ったのは僕だった。本当なら後日、ひとりで行けば良かったと今なら思う。でも、当時の僕がひとりでは入らない程度に雰囲気があったのだ。そのことを責められた。

 つまり、彼いわく「見るからに怪しい店」だと言うのだ。狭いし看板も出てないので、何の店だかサッパリ分からないのだ。でも、その頃の僕は馳星周の「不夜城」を読んでいたので、そんなアジアな雰囲気に誘い込まれてしまったのだ。巻き込まれた方はたまったもんじゃないというクレームだ。

作りかけの頃のスカイツリー。この頃は近くに行くたびに写真を撮っていた。