超ベリーグッドな言語感覚

 ある出来事に関して、あたかも何かの論争が巻き起こっているかのように感じさせるワードとして「◯◯問題」などと評したり、口にすることがある。いかにも大ゴトで、上から「あの問題があるじゃないですか?」などとマウンティングを取るような表現だ。素直な僕は、そこで機先を制される。

 知っている人間だけで通用する言葉を使うことで他人を排除することは、古くからあるコミュニケーション方法だ。身近な言葉では、若い女性(あえて言おう、ギャルである)が全然意味のわからない略語で話したりするヤツだ。元総理大臣の孫のバンドマンが使う短縮アルファベットも同じ類か。

 孫バンドマンのアレはちょっと遠いのだが、ギャルの間で知らない間に浸透している言葉は割と興味深い。かつてはTVで「このギャル語知ってる?」みたいなクイズがあったりしたので多少は理解できた。でも、もはや直のコンタクトもなく、TVでも紹介しないので最新の言語は知る由もない。

 SNS上で流行っているギャル語があったとしても、閉じたコミュニティの中身を中年が見ることはない。たまに漏れ聞こえてくる使い古しを聞いて、思えば遠くへ来たもんだと、世代間の隔たりの距離に呆然とするばかり。こうなったら中年語を捏造したろうと思うが、その典型が駄洒落だろう。

 最初に勤めた会社で、僕が入って何年目かに入社してきた新入社員の高卒の女の子が、自分のことを「ウチ」と呼ぶ世代の子だった。こういう特殊な言葉遣いを中年は嫌うので、僕はちょっとだけ警戒していた。中年社員は直接注意できないので、先遣隊として僕あたりに注意させるような予感だ。

 結果から言うと、そんな指令は下りてこなかった。僕のナイーブな感性が、彼女がウチと口にするたびにピリッとしただけだ。それは、つまり僕個人の嫌悪感だったのだ。若い人間が上の世代に負けないように放っている反抗のエネルギーを彼女の一人称に感じていた。それが眩しかったのだろう。

酒場の若い女子店員のカレーには、彼女の弾ける感性が隠し味になっている。