その海パンは透けている

 いったい何割くらいの人間が「夏=海」という方程式に従って行動しているのか知らないが、僕はそれほど海水浴に焦がれる若者ではなかった。行く面倒が先に立ってしまうのは海なし県育ちの性だろうか。海への距離的な面倒臭さが頭にあるので、夏のプールも似たような理由で面倒だと感じる。

 最近になって、海の家を使って夏の海を満喫する方法を知った。酒場の仲間が連れて行ってくれた九十九里の某海水浴場は、ただ行ってのんびりしているだけで良いので楽しめた。若い頃は金もないしクルマもないので、電車で行ける範囲でチマチマ遊ぶだけだった。それも良い思い出ではあるが。

 イチバンの違いは下心だと思う。若い男が海に行くのは「目の保養」と「あわよくばの出会い」を求めているからである。でも、目の保養は劣等感と結びつきやすい。水着のギャルに見惚れたところで「どうせ俺なんか」と打ちひしがれてしまうのだ。単純に「良いものを見た」とは思えないのだ。

 その点、中年だらけの海水浴は下心も程よく枯れている。水着ギャルも「見られるだけで眼福」と素直に思うし、あまり変な人だと思われたくないから極端に凝視しない。中年は海では異物なので、そこはわきまえて若者と距離を取る。そうしていても楽しめるサムシングが夏の海にはあると思う。

 学生時代、合宿で行った大分で休み時間に川遊びをしたことがあった。その時は部活の延長で遊んでいたので、当然だが海パンなど持っていない。みんなラグビーの練習着で、Tシャツに短パンで川に飛び込んだ。田舎の川なので水はキレイだったが、深いところもあり流れが急なところもあった。

 その川に飛び込んだりして遊んで、ビショビショのまま宿まで帰っても、着く頃には乾いている。だが、その道中では注意が必要だ。我々は海パンではなく、ラグビーの短パンで川遊びをしたのだ。当然、股間がうっすら透けている。仲間内では前を気にしていたが、尻の透け方が卑猥なんだよな。

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この川は釣りで行った山間部の清流だが、泳げるような水位ではない。