夏色のデリカシー

 夏が近づく感覚は、いくつになっても小さなワクワクを呼び起こされる。実体験としての良い思い出なんて何ひとつないのに、架空の夏体験物語をデッチ上げている。または、誰かのウシシな体験を無断借用した思い出の美化作戦が行われている。とにかく、なんか楽しそうな気配だけはあるのだ。

 さて、実際に夏が来ると半分溶けている。もう半分の辛うじて残った実体で、効率の悪い仕事をする。今年こそエアコン直すぞとか、作業部屋に冷房器具を導入するぞと思いながら秋になるのを待つ。夏の真っ只中は、そんなトホホなイメージしかない。だから、梅雨前の今こそがまさに夏なのだ。

 架空の妄想サマーのおかげで、実際の暑熱地獄を迎える心の準備ができる。口では地獄といっても、冬よりはマシだと思っている。何よりビールが美味い。そのために生きているので、夏は僕の季節だと言っても過言だが、まあ夏の生まれなので言い切ってみる。ダラダラと家で過ごす夏サイコー。

 何より、夏はジョギングが気持ち良いのだ。猛暑日の真っ昼間などは、頭クラクラするくらい刺激的だ。夏のジョギングに向けてスタイリングを変えるか。スポーツ用品店で格安の派手でダサいTシャツでも探そうかな。そんなこと考えるのも今の時期だけで、実際の真夏は暑さを呪っているのだ。

 僕の夏の原風景というか、爽やかな夏のイメージはすべて小学生の頃に集約されている。子供の頃はそこまで夏を鬱陶しいと思っていなかった。たぶん元気だからだろう。その頃の夏のイメージは、両親の田舎である秋田の家から見た広い庭だ。裏の空き地と一体化していたので無限に広く感じた。

 おそらく空き地を無断借用してトウモロコシなども作っていたと思う。あと、庭の一角にブドウ棚があり、そこにカナブンが常時待機していた。あの庭に充満した土と葉物の腐った匂いが、僕にとっての夏の匂いだ。スイカやキュウリを食べると、たまにあの匂いがする。ちなみにスイカは苦手だ。

大好きな街角の朽ちた建造物たち。夏の暑熱に焼かれて朽ちていけば良い。