紙巻き式のバルサン

 昨今の風潮で街中でタバコを喫える場所が減っている。健康に気を使う人が増えたからだと思うが、なにせ愛煙家には立場がない世の中だと思う。そんな苦境を慮ることはできるが、かと言って僕はタバコを喫わないので街中では困らない。むしろ副流煙を喫いたくはないので、分煙の方が助かる。

 僕が足繁く通う酒場は3軒あるが、そのうち2軒は分煙化されていない。隣客がタバコを喫えば、その煙は僕の鼻や喉や衣類を燻すのである。以前は僕もタバコ喫みだったので、やめた当初はそれほど不愉快には感じなかった。それが数年前から、僕の中でしっかり目の嫌煙家が醸成されつつある。

 その理由は明確で、複数の副流煙を浴びた後は必ず体調が悪くなるのだ。喉が悲鳴を上げ、咳やタンが出る。着ているものは臭くなり、その煙ったさでクシャミが出そうになる。このご時世で街中のクシャミは御法度なので、我慢する。目もシバシバするが、それは花粉症かもしれないので保留か。

 とにかく分煙してもらわないと実害が大きいのだが、それらの店はつまるところ「愛煙家が集まる店」と化しているのだ。喫えるから来るのだ。喫わない人間は顔を出すな、という話なのだ。世間がどれだけ分煙嫌煙の方向に進もうと、あの店の中だけは前時代の価値観が幅を利かせているのだ。

 そもそも僕がタバコを喫うようになったのは大学生の頃、部室の中が小火レベルでタバコの煙に包まれていたからだ。この中では喫わない方が損だと思ったわけだ。そんな風潮が弱まってきたから、僕は自然にタバコをやめられた。おそらく時限式の愛煙家で、タイマーがゼロになってやめたのだ。

 もともと喫っていたこともあり、現役の愛煙家に対して寛容過ぎたのだろう。依然、僕の周りにはタバコ喫みが大勢いる。特に酒場周りの知人に多い。それは愛煙家が集まるバーに通っているからだ。そう言えば、その店に通い始めた頃は僕もまだタバコを喫っていた。今はハッキリと苦手である。

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副流煙被害に遭うたびに嫌煙コラムを記すが、僕の周りはタバコ喫みばかり。