ノースモークデイ

 生涯で15年ほどは愛煙家だった。いや、愛煙家というとタバコをこよなく愛していたみたいな表現で落ち着かない。単にタバコを喫っていた期間の話だ。喫っていた時の気持ちを遡って考えるのは難しい。美味いと思って欲していたのか、カッコつけのポーズだったのかはもはや判別不能である。

 キッカケは大学生の頃で、入部前に部室を覗いたら温泉街の湯気の如く煙が充満していた。それまでタバコは喫ってなかったのだが、この紫煙まみれの部室に出入りすると思うと「喫わなきゃ損」な気がしてくる。副流煙で他人から汚されるくらいなら、自分のタバコで汚した方がマシだと思った。

 いま思い返せば、本当にそのくらいしか思い当たるフシはない。若い頃の抵抗というか、ちっぽけな反発でタバコをためしたことはある。その都度「無理してるな」と感じた。全然体が受け付けない。みんな最初はガマンだと言っていた。それを繰り返して、なんとかカッコ付くようになるらしい。

 僕も無理して喫っているうちに、なんとなく手持ち無沙汰なときに咥えてしまうようになった。飲み屋では短時間で2箱近くを消費してしまう。でも、それはクセになっているだけで、味の虜になったことはない。いつでもマズいと思っていた。それに臭い。それでも15年も喫い続けてしまった。

 30歳の半ばを過ぎて、タバコをやめた。禁煙を誓うという苦行的な感じではなく、本当にパタっと「や〜めた」みたいなカジュアルさでヤニ抜けした。それ以降も、本当は喫いたいんじゃないのと自分に問いかけ、たまにはタバコを買ってみたりした。その都度、無駄な出費に終わって今に至る。

 もう僕にはタバコを喫う人の気持ちがわからない。彼らが喫わない人の気持ちを考えないのと同様に、喫うことを権利かのように主張されてもポカーンとしてしまう。ただ、これを酒に置き換えて考えたら「飲めないのは困るな」と小さな理解がうまれる。それくらい僕とタバコとの距離は離れた。

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土地が余った田舎は無駄に第2駐車場がある。クルマの吸い殻捨て場である。