時計を外した生活

 バイトばかりしていた頃、そのバイト先の若い人から「早くやると仕事がなくなっちゃうからゆっくりやりましょう」と言われたことがある。僕は早く終わらせるのが正義だと思っていたので、その発想は持ってなかった。ゆっくりやれば定時まで同じ作業だけやるので、その分身体はラクである。

 早めに終わらせると、そのあと仕事がなかったら「帰っていいよ」と言われるので、結局ギャラが少なくなる。逆に定時までゆっくりやっていた組は、そのあとで突発的に入った仕事を振られて、それもゆっくりやるので残業手当て付きの収入を得ることができる。不当だと思うが、それが現実だ。

 その頃はバイト生活に慣れないために、時間に対しての考え方を堅く考えていた。ゆっくりやって時間を間延びさせることで、少しでも高い収入を得るというのもひとつの考え方だ。大袈裟だが、生き方と言っても構わない。生き方だから受け入れ難いのだ。僕は時間の感覚に対してシビアなのだ。

 仕事において時間を気にすることは、全体を考えるということだ。あの工程が残っているから終わりは何時だろうな、と予想しながら自分の作業をする。ダラダラやっていると、のちの工程が止まる可能性も考える。全体の中での自分の作業スピードは、他の現場の作業を想像して動くことになる。

 それらを見越した上で、これは「ゆっくりで良いな」と思う時は、後ろに合わせて作業することもできる。僕はせっかちなので先々に進めてしまいがちだが、全体のバランスの中で抜くことも大事なのだ。抜く加減の考え方では、バイトでの経験は重要だった。気楽に働くことも大事だと思うのだ。

 いま現在、締め切りに追われる仕事をしているのだが、追われる恐怖に耐えられないので、ブッチギリで早めに終わらせてしまっている。そのせいで、冒頭の若い人に言われた「早くやると仕事がなくなっちゃうから」という状態になりがちだ。どちらが良いとは思わないが、儲けは少ないだろう。

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広大な田圃を眺めて、経験もないクセに収穫の効率的な作業を考えてしまう。