くだらないけど宝物

 最近よく動画投稿サイトを観る。決まったチャンネルを毎日チェックしている。ひとつひとつの再生時間は短いが、ヒマな時間にサクッと観られて便利なのだ。僕がよく観るのはトークものなので、動画である意味はあまりない。ラジオの収録現場を観ているようなものだ。逆にラジオは聴かない。

 このような視聴法は、果たしてメインの視聴者層と同じなのか不明だ。有名な配信者のサイトでは、もっとバズるコンテンツをやっているのだろう。そのバズるという言葉が僕とは無関係なのだ。ヒットコンテンツの法則に僕が取り込まれていないのだろう。ヒットの埒外にいる残念な中年なのだ。

 ラジオ的に話を聴いていると、たまに現場にいる感じで小声で突っ込んでしまう。おい、それは違うだろ、みたいな。笑っているのを観ると、つられて声を出して笑ってしまう。これは動画だからかもしれないが、動きにつられるということがある。ドラマで役者が泣くと、悲しくもないのに泣く。

 そういえば、TV画面の中で役者がうなずくと、ついうなずいてしまう。この条件反射的な行動を活用して、どうしても良い返事が欲しい質問をする時にウンウンうなずきながら聞いてみたら、良い返事をもらえたことがある。こんな法則で人を誘導するのは気持ち悪いので、この手法は封印した。

 ラジオで思い出したのだが、最初に入った会社では営業車の中でずっとAMラジオを聴いていた。移動が長いとラジオだけが相棒だ。そのうち好きな番組もできる。ある日、時間指定の荷物を運んでいたのだが、ラジオが面白すぎて届け先の周辺を番組が終わるまで流してから納品したことがある。

 その時に、まあ時間には間に合ったのだが、面白い話を聴いた後なのでニコニコしながら納品していた。確かクレーム絡みの案件だったと思うのだが、感情のコントロールが効かなかったようだ。先方には不審がられたと思うが、その時の僕はラジオに殉じたのだ。面白いことだけが、正しいのだ。

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浅草橋駅近辺には旨いメシ屋がたくさんある。旨い食事もまた正義だと思う。