甘いにおいの罪なヤツ

 自分の中で、他人には恥ずかしくて言えないけれど密かに気に入っていたり、コソッと楽しんでいることを〈ギルティー・プレジャー〉と呼ぶらしい。罪悪感の快楽という意味だ。音楽のジャンルで例えるならば、普段メタルしか聴かない人が実は甘いポップスも好きだったりする意外性のことだ。

 僕のような一般人にはパブリックイメージがないので、このようなギルティー・プレジャーはあまり成り立たない。だが、勝手に頭の中で恥ずかしいと感じて、その感覚を面白がるようなことはしている。たまにアイドル曲が無性に良いなぁと思ったりすることは、そんな密かな楽しみのひとつだ。

 さらに音楽に関することで言うと、僕が最初に買ったCDがバクチクのセカンドアルバムだったので、彼らの曲は未だに聴く。ラジオで放送していたライブを聴いた時に、インディーズ時代の曲を演奏していた。その曲が良くてCDを買ったのだが、そのアルバムには当然その曲は収録されてない。

 動画検索サイトで掘ったら、その曲のライブ映像を観ることができた。いま聴くとメロディーが甘過ぎてすこし恥ずかしい。でも、当時の僕が一聴して惚れたのも分かる。その初期衝動をキープオンするために、バクチクを聴き続けなければいけない。そんな使命感とノスタルジーが共存している。

 マンガにも、この密かな楽しみがある。誰にも言う必要はないが、隠していると言いたくなる。なぜ隠しているかと言うと、恐れ多いからだ。その作家は好きだけれど、全作品を読もうともしていないし、いまから読む体力もなさそうだ。だから、書店でたまたま見つけたら買うだけに留めている。

 それは萩尾望都先生だ。僕が先生の作品に初めて触れたのは、高校の物理の授業で見せられたビデオだ。その授業で〈11人いる!〉を見て、ずっと心に残っていた。あの教師のことは好きでも何でもないが、そのビデオを見せてくれたことだけは感謝したい。その感謝も、心の中で密かにである。

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鶴見線国道駅の高架下はノスタルジックな良い雰囲気で郷愁にかられる。